日記・寺巡り・読んだ本・孫についてなど
by k-kazu3
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本棚整理77、78(「京都を歩く」講談社)
77.銀閣寺周辺
何度も行っているが、この庭園の池にサギが静かに動かずに立ち止まっている姿に感動したこと思い出す。近くにいた庭師に、ツルは来ないのかと尋ねたところ、京都にはツルは飛んでこないのだそうだ。
この庭から東の方角を見上げると、「月待山」という素晴らしい名前の山がある。
銀閣寺から南禅寺に進む道は「哲学の道」で、ひとりで散歩するには、最適な道だ。何度もこの道を南から、北から散策したことがある。

78.東寺周辺
東寺の五重塔を右に眺めながら、南大門を通り過ぎ、九条通りを西に向かっていくと、羅城門の跡を示す石碑を見つけることができ、感激したこと思い出す。小さな公園しかないのだが、なにしろ平安京の入り口がここにあり、これから朱雀大路が北に延びていたことを想像するだけで満足であった。東寺の資料館には、この羅生門の楼上にあったという守護神の毘沙門天があり、歴史を感じつつ、羅生門の跡の周辺を散策したこと思い出す。
# by k-kazu3 | 2012-02-03 20:37 | Trackback | Comments(0)
本棚整理76(「郷土資料事典ー山口県」)
昭和44年人文社発行の52年版 34年も前に購入したもの。その間におそらく20回以上は山口へ出かけたと思う。家族で、兄弟で、仕事の関係で、個人的に一人でも。特に印象に残るのは、萩・仙崎、山口・湯田温泉、下関・長府などである。

父の郷土である菊川町は、下関の東となり。瀬戸内海に流れ出る田部川が流れる盆地で、萩から長府への幹線道路が通る、のどかな農業中心の盆地で、小京都ともいわれる。良質の水があることから、清酒、醤油など醸造が盛ん。彼岸花が田んぼの畔に満開となると景色が一変する。

この本には父と母の墓のお守りをしてくださった快友寺について、次のように書かれている。

806年弘法大師の創建といわれる古刹。1605年真言宗から浄土宗に改める。秋光山快友寺には、大内時代に朝鮮から移入されたといわれる明版一切経が貴重なものとして残っている。

昨年、河田家の墓を、この寺から東京の町田に移したことから、山に残っているご先祖様の墓はそのままではあるが、今までのようには、たびたび山口県に出かけることはなくなりことと思うとさびしい気もする。
# by k-kazu3 | 2012-02-03 07:14 | Trackback | Comments(0)
本棚整理73-75(神田の古本屋で購入したもの)
「日本の国宝」 朝日新聞社

73 滋賀 円城寺(三井寺)
一度訪ねたことがある。三井寺の晩鐘で知られる知証大師 円珍の寺。東日本に影響力のある慈覚大師との確執から比叡山をはなり、その麓に独自の寺を建てた。なんといても、この僧の頭のとがった迫力ある坐像が強烈な印象に残る。異国の神である新羅明神坐像も神秘的で印象に残る。
特に記しておきたいのは、この寺から山沿いに北上したところに、壬申の乱で敗れた天智天皇の息子 大友皇子の墓がひっそりとあることを見つけ出したことだ。壬申の乱で、天智天皇の弟、後に天武天皇により自害の追い込まれた大友皇子は、天智天皇の後継者として39代弘文天皇となったのだが、半年ぐらいで、廃位となり、そのことは日本書紀ではないものとされたいたが、明治になり復活しているのだ。歴史を感じるものがあり、隠されたものを見つけたような気分であった。

74 京都 教王護国寺(東寺)
何回も訪れているが、なんといっても日本一高い五重塔と講堂の立体曼荼羅が見ごたえがある。何度見ても素晴らしい。特に、空海作といわれる「不動明王」(国宝)はすごい迫力で、圧倒されるものがある。

75 富山 瑞龍寺  
   福井 永平寺 明通寺
金沢から高岡に出向いて、瑞龍寺を訪ねたことがある。直線的な配置の禅寺で、すがすがしい寺で、曼荼羅が印象的であった。
道元禅師の開いた永平寺へは福井から、単線で単車の私鉄で訪ねたことがある。大きな杉林の中の、空気の澄みきった寺との印象であった。
小浜の明通寺は坂上田村麻呂の発願の寺で、三重塔が山の中で美しかった。
# by k-kazu3 | 2012-02-02 20:37 | Trackback | Comments(0)
本棚整理72(「激動・幕末・開国・衝撃」国立公文書館
平成16年というから今から8年前、千代田区北の丸公園にある国立公文書館を訪ね、タイトルの特別展を見物したと時に購入した資料で、こんな本物の文書を見ることができるのかと、驚いたことを思い出す。1854年の日米和親条約締結150周年ということで企画された特別展で、ペリー提督日本遠征記など、古文書や古図面、写真、絵画など展示されていて、その解説書を購入したもので、印象深い展示を見せてもらったことを思い出す。

ペリー提督日本遠征記は、来日2年後に米国で出版されており、それを4年後の1860年遣米使節団が持ち帰り、1862年に日本訳をしたものが展示されていた。

また、「環海異聞」という、ロシアのレザノフ来航の折に、カムチャツカに漂流した津太夫らが8年のロシア滞在の後、大西洋からマゼラン海峡、ハワイ、カムチャツカを経て、長崎に帰国した後、幕府の蘭学者(大槻茂質)が聞き取り、取りまとめたもの16冊、1807年のものだが展示されていて目を引いた。

明治以降の資料として、常設展に展示されているもののうち、驚いたのは、次の文書の原本が、そのまま展示され、見ることができたことだ。

大日本帝国憲法(明治22年)、終戦の詔書(昭和20年)、日本国憲法(昭和21年)、サンフランシスコ平和条約(昭和27年)などで、いずれも天皇陛下がご署名された原本なのだ。

# by k-kazu3 | 2012-02-02 05:40 | Trackback | Comments(0)
本棚整理71(「拒否できない日本」関岡英之著)
8年前に文芸春秋社から出たもので、著者は1961年生まれ慶応大学法学部を卒業し、銀行マンから転進して早稲田の建築研究室へ。米国政府が日本政府に対して、「年次改革要望書」を出していることを問題にし、米国依存ではなく、日本自らの判断で改革すべし。と提言している。小泉改革に関連して、米国の影響がどんなものかを知るために購入したのだと思う。

昔から、日本は外国に影響されて変革することが常ではあったが、鎌倉から江戸時代には、日本独自での改革があり、当時を学ぶべし。と指摘している。

著者の指摘は、建築基準法や弁護士業の自由化など、すべて米国政府の要求によるもので、こうした米国に都合のいい社会に変えていこうとするメカニズムのルーツを探っているのだという。

欧米では、建築家は芸術家(アーティスト)であり、構造設計などは技術者(エンジニア)の仕事であるのに、日本では設計(デザイナー)から構造力学(エンジニア)までを建築家が扱い、定義が日本とは違うのだそうだ。

米国は、中国の共同戦線で、建築家の資格制度の国際統一を目ざして、日本抜きで進めることで、日本の建築士資格は中国では通用しないという米国よりのグローバル・スタンダードを主張し、日本を排除してきたという。

日本には建築家が29万にもいて世界最大の「建築家大国」なのに、米国はその半分11万人、中国には僅か3万人しかいないそうで、日本の資格制度は、欧米や中国にとっては、大変な脅威であり、米中が結託していたのだとか。そして、なぜ、日本は総力を結集して、米国や中国に日本ルールの採用を迫らないのかと指摘している。

北京オリンピックの前の建築ラッシュは、こうして米中結託で、日本を排除して進められたようで、若き愛国者の著者の憤慨も理解できるところだ。

なんでも米国には内政干渉の知恵袋がいるそうで、日本も外国交渉の体制を考えるべきと指摘している。当然の話で、昔、日ソの漁業交渉では、直近のソ連の研究所の研究報告を翻訳するシステムを考え、予算要求をして、体制を整えたことを思い出す。
# by k-kazu3 | 2012-02-01 10:55 | Trackback | Comments(0)
本棚整理70(「トルコ民族と日本民族」保科真一著)
1998年(株)叢文社から発行されたもので、著者は1923年生まれ、東大法学部卒、労働省に勤務し、退職後に書いたもので、本人は日本トルコ協会の会員。日本人はトルコに旅行すると、みなトルコが好きになって帰るといわれるが、私も、トルコ旅行は、それまでの海外旅行の経験を超える好印象を持って帰り、すっかりトルコ・フアンになってしまった。外国旅行で一番印象的な国だ。中国敦煌の郊外にも似たところがあり、歴史も古く、遺跡もギリシャ以前のもので、驚くばかりであった。そんなこともあり、この本を購入したのだと思う。

トルコ人の祖先は、アジア民族で、著者は日本人とトルコ人の間には、同じ血が通っているのではないかと述べている。日本とトルコの間には、言語、信仰、伝説などで似たものが多く、また、体型なども類似しているという。

トルコでは家に入る時、靴を脱ぐし、田舎では、日本と同じように座って食事をする習慣があるそうだ。

日露戦争では、ロシアを宿敵としているトルコでは、日本の勝利を、わがもののように喜んだとか。

和歌山県串本沖で遭難したトルコ軍艦の救助を、地元の住民が命がけしたという歴史もある。

民族の源流、日本語とアルタイ語の関係、日本とトルコでの神話の世界での結び付きなど、各種の分野でのトルコと日本の関係を詳細に紹介している。

# by k-kazu3 | 2012-01-31 20:07 | Trackback | Comments(0)
本棚整理69(「中国3千年の体質」村松瑛著)
昭和55年に高木書房から発行されたもので、今から30年も前、中国が文化大革命を終えて、新たな動きが始まる頃で、私も、中国に3回も出かけており、中国への関心が強かったので、購入したのだと思う。著者は、中国専門家で中国旅行での経験をふんだんに織り込んで、文化大革命批判を展開しながら、「孔子から現在まで」の歴史の中に中国人の体質を解き明かしているのだ。

日本人は古来から、中国に対する認識が妥当であったためしがない。と著者は述べている。例えば、江戸時代には、「徳の国」とし、明治に入ると「チャンコロの国」として中国蔑視となり、戦後は、特に進歩的な知識人は、共産党指導の中国を理想国家のごとく高く評価してきたという。現在から見るとウソのようであるが。

著者は、長い中国の歴史から見ると、中国人の思考が、近代合理主義に変わることは、そう簡単なことではなく、そもそもが異質な体質なのだという。

中国人は思想を生み出した民族であるだけに、日本人と違って、簡単には西洋風の近代化にはならないし、日本人が進めてきた近代化とは異質な近代化が出来上がるような気がすると述べている。

中国人にとって、親友とは、悪いことも一緒にやれるし、悪いところにも、一緒に行けることが親友なのであって、法を犯してでも、信頼関係を大切にする点があるので、米国人とは親友にはなれないというのが、当時米中接近で良好な両国関係を結んでいる中でも、中国人は米国人を真に親友として、長く付き合う関係にはなれないのではないかというのが、合理主義、法律万能主義の米国人に対する感情であったという。

友情というものは、相手がその友情を裏切らない限りは、例え法に問われようとも、それで切れるものではないというのが、温かい友情であり、人間関係を損なっても、正義を第一するという合理主義は中国にはなく、、中国はもっと人情味豊かな近代を目ざしているのではないか。と著者は30年も前に書いているのだ。

北朝鮮との切れない友情など見ると、そうなのかと思うところがある。田中角栄は、法律に違反しているということで、大事な日米関係を損なっても、米国は田中を切り、田中は米国に裏切られたが、中国は、日中関係を築いてくれた田中に対して、決してその友情は忘れないといって、今でも田中を評価している。確かに、法治国家ではなく、人が法律に優先して治める国なのでしょうね。
# by k-kazu3 | 2012-01-31 10:53 | Trackback | Comments(0)
本棚整理68(「儒教3千年」陳舜臣著)
1992年丁度今から20年前の朝日新聞社から発行されたもので、その4年前にNHK教育テレビで放送したものを書き改めたものだ。マックス・ウェーバーが、プロテスタントが資本主義を成立させたと論じたことを下敷きに、台湾、韓国、香港、シンガポールなど儒教国家が経済的な発展を遂げている背景を、儒教が支えているという観点から、考えようとする試みに応じて、書いたものだと、著者は書いている。最近の中国では、孔子様を再評価する動きもあるようだが。

そもそも、日本も儒教国家として、経済発展を支える同じような基盤にあるという議論もあるようだが、著者によると、日本は「儒教」の国ではなく、「儒学」を学んだ国であって、宗教的な「儒教」は受け入れてはいないという。

つまり、儒教を日本は倫理や道徳思想として受け入れていて、「いまだ生をしらず、いずくんぞ死をしらんや」という「論語」の考え方は、宗教的ではなく、「儒学」なのだという。

湯島の聖堂をはじめ、日本では近代に至るまで、儒教が宗教でないことは自明のこととされていたのは、儒教の宗教として重要な部分である「天」と「祖先」を祀り敬うという点で、日本人は中国人や韓国人とは、大きく異なるのだそうだ。

例えば、親族に対するよび方は、日本では極めてルーズで、「おじ」「おば」や「いとこ」との関係など、いとも簡単に呼んでいるが、中国では、その関係は、父の兄、父の弟を区別し、また、父方、母方で呼び方が変えているなどの配慮をしているが、それが礼儀であり、その礼儀を知らないことは、野蛮人になるのだそうだ。

こうした儒教的な礼儀が、どうして経済発展と関係するのか、著者自身、疑問にもっているようではあるが、儒教と日本、そして中国や韓国との関係を歴史的に見ることには、大変面白い。


# by k-kazu3 | 2012-01-30 12:16 | Trackback | Comments(0)
本棚整理67(「海の道」宮本常一編著)
1988年(株)八坂書房初版の第2刷として1994年発行したものを購入している。20年少し前のことで、宮本常一の本は結構沢山もっているのだが、これは新しいほうだと思う。1973年に「海と日本人」を書き、日本と海外との交流を扱ったので、今回は、国内の交流が中心として書いたそうだで、①江戸通い、②瀬戸内海往来、③下関を中心に3つの断面から書いている。

江戸幕府が開かれた当初は、大坂から江戸へは、菱垣廻船により計画的な船の往来が始まったそうだが、その殆どが紀州や大阪湾での鰯網漁船を使って、漁師が物資の輸送を行っていた。その後1700年頃になると、樽廻船という専門の輸送船が、酒や醤油、それに塩などの江戸送りを行うようになり、江戸からの帰り船には、九十九里などに紀州などから移住した漁業者が漁獲した干鰯を浦賀から上方に送るようになったという。当時は、大坂周辺での新田開発が進み、菜種、タバコ、綿などを作るのに沢山の干鰯が肥料として使われたのだという。

今回初めて知ったのだが、瀬戸内海往来のところで、瀬戸内海を中心にして西日本の海を支配していた海賊たちを有効に支配するため、陸上での全国統一を成し遂げた秀吉が、「高麗の陣」を立ち上げ、朝鮮出陣のために、北九州の松浦水軍をはじめ、瀬戸内海の村上水軍や塩飽水軍、熊野灘の九鬼水軍などを一同に集めて、海の支配を完全なものにしようとしたのだという話だ。朝鮮出陣の頃の文献には、「高麗の陣」を書いたものが多くあるそで、秀吉は単に英雄主義での出陣ではなかったのだという。全国から、水軍と船をかき集め、統一的な運用で海上でも秀吉支配を強化したのであろう。

そのほかに、北前船のことや、鯨捕りのこと、有名な港やそこでの遊郭や遊女のことなど、現地での歴史探訪の話しが沢山収められている。
# by k-kazu3 | 2012-01-29 15:55 | Trackback | Comments(0)
本棚整理66(「県勢要覧」神奈川県)
こんな本がどうして本棚に残っているのか。私は物持ちがいいのだが、改めて、本棚の整理を進めてよかったと感じるところだ。この本は、私が神奈川県の仕事として「海区漁業委員会」なる会議に参加している折に、参考までに事務局から配られたもので、結構面白いと感じて保存していたものだろう。

面白かったのは、地名の項で、「かながわ」という地名の由来は、鶴岡八幡宮所蔵の1266年(文永3年)の文書に、「武蔵国稲目、神奈河両郷」の郷名として初めて現れ、カメ河、神奈川、金河、狩野河などが記載されており、また、江戸時代の「江戸名所図会」には、上無川とも書かれているという。そして、古代から、陸上、海上交通の要衝として、知られていた。と書かれている。

この沿革史によると、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災の震源地は、相模湾の北西部で、震度は7.9あったそうで、県下全域を直撃し、沿岸には津波が襲来し、県内27万世帯のうち86%の24万世帯が被害を受けているとか。そして、死者・行方不明は3万人、被災者は120万人で、神奈川県の歴史の上でも、一大転機を画する重大事であったと書かれている。

関東大震災の震源地は直下型として、東京湾かと思っていましたが、相模湾の北西部というから、小田原や真鶴の沖合なのかもしれませんね。思いのほか近いところなので、記しておくことにしました。
# by k-kazu3 | 2012-01-28 20:13 | Trackback | Comments(0)
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